トレイルランニング(トレラン)のレース中、順調に山を駆け抜けていたのに、突然やってくる「胃のムカつき」や「激しい吐き気」。
「足はまだ動くのに、胃が食べ物を受け付けない……」
そんな経験をしたことがあるトレイルランナーは決して少なくありません。
実は、ウルトラマラソンやトレランといった超長距離レースにおいて、リタイア原因のトップクラスに君臨するのが「胃腸トラブル(内臓疲労)」です。
どれだけ厳しい上り坂の練習を積み、最新のギアを揃えても、エネルギーを補給できなくなればその時点でレースは実質終了してしまいます。なぜ、走っているだけなのに胃腸が壊れてしまうのでしょうか?
今回は、トレラン運営サイト「Fun-Trailrun」が、世界的な研究データなどの科学的根拠(ファクト)からトレランと胃腸トラブルの因果関係を紐解き、誰にでも実践できる具体的な予防策を網羅的に解説します。

1. 驚きの統計:ランナーの96%が直面する「内臓の壁」
「胃腸が弱いのは自分だけかもしれない……」そう思い込んでいませんか?
まずは、スポーツ科学の分野で非常に有名な、超長距離ランナーを対象とした統計データを見てみましょう。
世界最高峰の100マイル(161km)トレイルレース「ウェスタンステイツ・エンデュランスラン」において、出場ランナーの胃腸症状を徹底追跡した大規模な調査(Stuempfleら、2015年)では、次のような衝撃的なファクトが報告されています。
- ランナーの96.0%が、レース中に何らかの胃腸障害を経験している。
- 途中棄権(リタイア)したランナーの35.6%(およそ3人に1人)が、「胃腸トラブル」を最大の理由として挙げている。
- リタイアした原因の実に90.5%を「強い吐き気(Nausea)」が占めている。
- 無事に完走したランナーであっても、43.9%が「胃腸トラブルによって走行パフォーマンスが落ちた」と回答している。
このデータが示す通り、胃腸トラブルは一部の選手だけの問題ではなく、「ほぼすべてのトレイルランナーが直面する、避けては通れない最大の敵」なのです。
では、胃腸が機能不全に陥ると、私たちの身体にはどのようなドミノ倒しが起きるのでしょうか。その恐怖のステップを解説します。
2. 胃腸トラブルが引き起こす最悪のシナリオ
① 襲いかかる強い吐き気
最初のサインは、胃の膨満感やゲップ、そして徐々に強くなる「強い吐き気」です。
前述の統計でもリタイア理由の9割を占めたこの吐き気は、トレラン特有の「上下の激しい振動(ガストリック・ジョギング効果)」によって胃が物理的に揺さぶられることで加速します。これに内臓の機能低下が加わることで、ジェルを一口飲むことすら拒絶する激しい拒絶反応へと発展します。
② エネルギー枯渇(ハンガーノック)と行動制限
吐き気によって補給食が食べられなくなると、次に待っているのは「ハンガーノック(極度の低血糖状態)」です。
車に例えるなら、ガソリンが完全に空っぽになった状態。脳や筋肉へのエネルギー供給が完全にストップするため、急激に意識が朦朧としたり、力が入らなくなって一歩も動けなくなったりします。こうなると大幅なペースダウンを余儀なくされ、厳しい行動制限がかかります。
③ 待っているのは「最悪のリタイア」
エネルギーが補給できず、水分すら吐き出してしまう状況になれば、待っているのは「リタイア」の二文字です。
何ヶ月も前から準備し、厳しい抽選やエントリー費を払って出場した憧れの大会が、足の怪我ではなく「胃腸のストライキ」によって終わってしまうのは、ランナーにとってこれ以上ない悔しさです。
では、この「リタイア率3割超」の元凶をどのように防げばいいのか。ここからは具体的な6つの科学的アプローチを解説します。
3. 胃腸トラブルを徹底予防するための6つの科学的アプローチ
胃腸トラブルを防ぐためには、根性論ではなく「解剖生理学的なアプローチ」が必要です。レース前、そしてレース中に実践すべき6つのポイントを見ていきましょう。
① 【最大の予防策】練習で「食べながら走る」訓練をする(Gut Training)
人間の身体には「特異性の原則」があります。走る練習をすれば走る筋肉が鍛えられるように、胃腸も「使いながら走る」ことで、運動中の消化・吸収能力を鍛えることができます。これをスポーツ科学では「Gut Training(腸のトレーニング)」と呼びます。
- なぜ必要なのか?健康な状態のときに座って食べるのと、運動中に食べるのとでは、胃腸の働きが全く異なります。日常の快適な環境での食事では、胃腸のキャパシティは分かりません。
- 実践的な練習方法:ただ走るだけでなく、「ロードや山で長い距離を走り、胃腸や身体が十分に疲弊した状態」で、あえて補給食を食べる練習を取り入れてください。
- この練習で得られるメリット:
- 自分の胃腸が疲れたときにどう変化するか(拒絶反応が起きるタイミングやサイン)を事前に把握できる。
- 「これなら胃が受け付ける」という、自分に合った補給食(ジェル、固形物、和菓子など)をスクリーニングできる。
- 不調の予兆を感じたとき、どうすれば克服・軽減できるかの対処法(ペースを落とす、真水を飲むなど)を本番前に実験・シミュレーションできる。
② レース前日・当日の食事戦略:油物を徹底的に排除する
レース直前の食事選びは、スタート時の胃のコンディションを決定づけます。
- 科学的理由:脂質(油物)は炭水化物やタンパク質に比べ、胃での滞留時間が圧倒的に長いという特徴があります。消化・吸収するまでに4〜5時間以上かかることもあり、前日の夜にカツ丼やラーメンなどの油物を食べると、翌朝になっても胃の中に未消化の脂肪が残り、消化器系に大きな負担をかけたままスタートすることになります。
- 具体的な対策:レース前日と当日の朝は、徹底して油物を控え、消化に良い炭水化物(うどん、お粥、おにぎり、もち、バナナなど)を中心に摂取してください。食物繊維が多すぎるもの(生野菜や根菜類)も、レース中にガスが溜まる原因になるため、直前は避けるのが賢明です。
③ レース中の心拍数マネジメント:血流の「奪い合い」を防ぐ
レース中に胃腸が動かなくなる最大の科学的要因、それが「消化管虚血(しょうかかんきょけつ)」です。
- 科学的理由:人間の血液の量は一定です。通常時、血液は内臓にも十分に巡っていますが、運動を始めると、酸素とエネルギーを必要とする「働く筋肉」へ優先的に血液が送られます。特に心拍数を上げすぎる(高強度運動)と、全身の血液の約80%以上が筋肉に集中してしまいます。その結果、胃や小腸への血流が激減(消化管虚血)し、胃腸の動きが完全にストップします。これにより消化不良が起き、胃から食べ物が小腸へ流れていかなくなる(胃内停滞)ため、強烈な吐き気が生じるのです。
- 具体的な対策:特にレース前半や上り坂では、心拍数を上げすぎない(お喋りができるレベルの低心拍を維持する)ことが鉄則です。時計の心拍アラートを活用し、意図的に「胃腸に血流を残すペース」を守りましょう。
④ 脱水症状とミネラル不足の回避:消化吸収のシステムを維持する
水分と電解質の不足は、ダイレクトに胃腸の機能を停止させます。
- 科学的理由:胃や腸が食べたものを分解し、粘膜から吸収するためには、大量の水分と電解質(ナトリウムやカリウムなどのミネラル)が必要です。脱水状態になると、身体は生命維持に必要な心臓や脳への血流を優先するため、ただでさえ少ない胃腸への血流をさらに削減します。また、ナトリウムが不足すると水分を体内に保持できず、消化液の分泌も滞るため、胃の中のものが全く吸収されなくなります。
- 具体的な対策:喉が渇く前に、計画的な水分・ミネラル補給を行いましょう。水だけを飲むと血液中の塩分濃度が薄まり(低ナトリウム血症)、逆に吐き気を引き起こすため、必ず経口補水液や塩分タブレットを併用してください。
⑤ カフェインの過剰摂取に注意:胃酸過多と自律神経の暴走
眠気覚ましやパフォーマンス向上のためにカフェイン入りのジェルを使うランナーは多いですが、これは諸刃の剣です。
- 科学的理由:カフェインには胃液(胃酸)の分泌を促進する働きがあります。空腹状態の胃にカフェインが流れ込むと、胃酸過多となり胃の粘膜を激しく刺激します。さらに、短時間に大量のカフェインを摂取すると、血中濃度が急上昇し、交感神経が過剰に刺激されます。自律神経が乱れることで、胃の幽門(出口)が閉じてしまい、胃がパニックを起こして吐き気を催します。
- 具体的な対策:カフェイン入りのジェルを使用する場合は、必ず事前に何かを胃に入れてからにすること。また、ここぞという勝負所(後半の眠気対策など)に絞り、連続投入して血中濃度を急上昇させないよう注意しましょう。
⑥ 痛み止め(ロキソニン等)の服用は厳禁:胃壁のバリアを破壊する
後半の足の痛みや頭痛を抑えるために、解熱鎮痛剤(NSAIDs:ロキソニンやイブなど)を「お守り」として持っている方がいますが、トレラン中の服用は非常に危険です。
- 科学的理由:ロキソニンなどの痛み止めは、痛みの原因物質を抑えると同時に、胃粘膜を保護する成分(プロスタグランジン)の合成も止めてしまいます。トレラン中の胃腸は、前述の「血流不足(虚血)」と「激しい振動」でただでさえ大ダメージを受けています。そこにプロテクター(粘膜保護)を奪う薬を投入すれば、胃酸がダイレクトに胃の壁を傷つけ、高確率で激しい胃痛や胃潰瘍、消化管出血を引き起こします。さらに、これらの薬剤は腎臓への血流も低下させるため、脱水症と重なることで急性腎不全を招くリスクが跳ね上がります。
- 具体的な対策:レース中の安易な鎮痛剤の服用はやめましょう。痛みは身体からの「これ以上負荷をかけるな」というサインです。薬で麻痺させるのではなく、ペースを落とす、ストレッチをするなどの物理的な対処を行ってください。
4. 結論:低心拍で走れる強い身体こそが、最強のインナーギア
ここまで様々な対策をお伝えしてきましたが、最も本質的で重要な結論は一つに集約されます。
それは、「とにかく、低心拍数で走れる体を作り、痛み止めなどに頼らない強い体を作っておくこと」です。
どれだけ補給食を工夫しても、あなたの基礎的な走力が不足していれば、少しの登り坂ですぐに心拍数が跳ね上がり、内臓への血流が途絶えてしまいます。
日常のトレーニングから、「有酸素ベース(心拍数を低く保った状態)で長く動き続ける練習」を積み重ねてください。これにより、身体はエネルギー源として脂肪を効率よく燃焼できるようになり、糖質への依存度が減るため、結果として胃腸への補給の負担そのものを減らすことができます。
また、日頃からケガをしにくいフォームを身につけ、筋力を鍛えておくことで、レース後半に「痛み止めを飲まなければ走れない状況」そのものを作らないことが大切です。
まとめ:内臓を制する者が、トレランを制する
トレイルランニングは、単なる体力の見せ所ではなく、「いかに上手にエネルギーを補給し、体内で処理し続けられるか」を競う、壮大な内臓ゲームでもあります。
- 日頃のロングランで、あえて疲れた胃腸に補給する「胃腸の訓練(Gut Training)」をする
- 前日・当日の油物を避ける
- 心拍数をコントロールし、胃腸の血流を守る
- 水分・ミネラルを正しく摂る
- カフェイン・痛み止めに頼らない
この科学的なアプローチを次回のレースや練習からぜひ取り入れてみてください。
最後までしっかり食べて、しっかり笑ってゴールゲートをくぐり抜けるために。あなたの胃腸を、最強のパートナーへと育て上げていきましょう!
トレランの役立つ情報や、科学的なトレーニング論をこれからも「Fun-Trailrun」でお届けしていきます。次回もお楽しみに!

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